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はじめに
防腐剤無添加酒の開発
 防腐剤
 サリチル酸の毒性
 15年戦争
 無添加酒の発売
酒造好適米全量使用と契約栽培
純米酒へのこだわり
信濃錦の味わい
顔のみえるということ
最後に
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 ここにご紹介致しますのは、雑誌『宝石』(昭和44年12月号)に掲載された前社長の一文(要約)です。
 私共の現在の酒造りの出発点とも云える防腐剤無添加酒の開発を、先ずご理解戴ければ幸いです。


 昭和42年10月1日、私(宮島宏一郎・前信濃錦社長)は一家五人で記念撮影をした。
 漸く今までの開発経緯を女房に話し、自信はあるものの世間の風は冷たい中で、俺の人生の賭けだと心に決め、子供達と共に正装して町の写真屋に向かった。『殿様に成るか、乞食になるかの分かれ目だ』とそう言いながら写真に納まったのである。
 昭和44年10月23日、国税庁主催の醸友会シンポジュウム(東京)で演台に立った私は、「サリチル酸無添加酒」と題して今までの研究成果を報告した。この報告は、決して醸造業界や厚生省などの関係者達に、諸手を上げて称賛して貰えるものではなかった。白眼視される中での出発であったことは言うまでもない。

 防腐剤
 秋の終りから春の始めにかけて仕込んだ酒は、貯蔵する前に釜で煮る。フランスの科学者パスツールが、葡萄酒の腐敗対策として加熱殺菌法(パストゥリゼィション)を編み出したが、それによって摂氏60度程度で15分間煮るのである。ところが明治時代には温度計を持っている酒蔵は少なく、煮える酒の表面を指先でサッと切り、どのあたりまで我慢して切れるか…、全くの勘で温度を確かめていた。そして加熱殺菌をした酒を大桶にいれ、紙の目張りで密閉して貯蔵する。何本ものこうした貯蔵桶が並び、一本毎に出荷の時期が来る。この時が桶の下呑口を切りながら杜氏達が神に祈る気持ちの瞬間なのである。白濁していたら万事休す!火落ちしているのだ。
 火落ちした酒は、十分の一以下の値段で食酢メーカーに酢の原料として買い取って貰うしかない。一本や二本ならまだしも、火落ちが続出すれば、メーカーは倒産に追い込まれる。
 明治の始めより政府は酒税を課しており、酒税は国家の重要な財源だ。政府は酒税の保全の意味から、何とかして酒造りの歩留まりを良くしたかった。その時に着目されたのが、ドイツのバイエル社で作られていたサリチル酸であった。明治13年から、法律により酒に防腐剤を入ることが許された。但し毒物なので、一石当たり十二匁以上使うなという厳しい規定が設けられた。メートル法に換算すると1キロリットル当り250グラムである。

 サリチル酸の毒性
 動物実験によると、ネズミに体重1キロにつき0.52グラムを皮下注射すると半数が死んでしまうという。人間の場合10グラム飲んで死んだという報告がある。
 死ぬ程でもなく、愛飲家が酒と共に小量ずつ長期飲んだとすると、慢性毒性が現れる。それは、肝臓に壊疽ができ、肺に出血、心臓、腎臓、肝臓に脂肪の異常蓄積が見られるという風に、五臓六腑がメチャクチャになってしまう。
 慢性毒性の許容量は、体重1キロ当たり1ミリグラム。今、仮に体重60キロの人が、毎日1リットルの酒を飲んでいるとすると、その人は1キロ当り4ミリグラムのサリチル酸を体内に入れている事になり、許容量の実に4倍である。
 私の父、秀一は、昭和33年に死んだ。病名は肝硬変であった。毎日酒を欠かしたことのない父を、死に追いやったのは、サリチル酸による肝障害ではなかったか――こう思うと、じっとしてはいられなくなった。
 1961年に、WHO(世界保健機構)とFAO(食料農業機構)の共同委員会で食品添加物についての第六回会議が行われた。その席で、サリチル酸と硼砂の使用を禁止するようにとの勧告が出された。
 厚生省の役人は、国連関係の会議に出る度に、「まだサリチル酸を使っているのか」と、食品行政のレベルの低さを笑われるそうである。
 それが世界の中の日本の現状だろうと私には思えた。

 七文字との15年戦争
 日本酒のラベルをよく見ると、片隅か下端に、虫眼鏡ででも見なければ判らない様な字で「合成保存料含有」と書いてある。この七文字を何とか消したいというのが私の願いで、その戦いはやっと実を結んだ。
 防腐剤を要しない酒造りは、結局は酒を腐敗させる火落菌との戦いであった。
 蔵の衛生管理は火落菌との戦いにおいては、基本的要件である。
 蔵人が蔵に入る時は、逆性石鹸で手を洗い、ペーパータオルで良く拭く様にする。手拭いや布巾の類は雑菌の巣の様なものであり使わない。また全て白衣白ズボン。
 床のコンクリートの目にはモロミが入りやすく菌の巣になりやすいので、床にビニール塗料をぬり、オキシフル溶液を噴霧して、雑菌を蔵から追い出した。
 これから後は、火落菌と戦える強健な酒をどう造るかである。
 思考錯誤を続け、強健なモロミを造る為の強健な酵母の育成、そして酒母や麹、蒸米に至る酒造りの全工程に亘り見直しを図り、技術として完成度を高めていったのである。

 無添加酒の発売
 そして、その研究成果が試される時。昭和42年「信濃錦」の全製品にサリチル酸を入れずに造る事とあいなった。
 『社長、全量無添加でいきますか』と、杜氏の伊藤茂君が最後の確認をとりつけに来た。『うん、いっさいの酒に入れないでくれ』。伊藤君は最敬礼するなり、蔵の中へ戻って行った。
 そして、その夏には30度以上の気温に晒されて、どのくらい耐えられるのかという試験を、日本の南端、鹿児島でテスト依頼。開栓したまま、50日間びくともしないという確証が得られた。
 いよいよ発売に踏み切れる、確証と共に前後15年間の苦労が一度に体の隅々に、けだるさとなって現れて来たが、ここで気を抜くわけにはゆかない。
 昭和42年10月1日、サリチル酸追放の日本酒の発売となったのである。
 反響は色々な形で現われた。
 防腐剤無添加酒を欲しいという問い合わせから、同業者からの抗議や批判、『信濃錦』ボイコット運動まで、色々な声が聞こえて来た。「二日酔いがなくなった」「主人が早く帰ってくるようになった」――利用者の便りも舞いこんでくる。
 その後食品公害追放がかしましくなったが、時は過ぎ、いつしか知らない間にコップの中の嵐は収まっていった。

 今ではサリチル酸など入った日本酒など見つけようにも見つけられないという、当り前の時代となりました。今から思えば馬鹿な様な話ではありますが、その時代においては一大革命であったのです。

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宝石表紙
雑誌『宝石』
 
パストゥール
Pasteur, Louis
(1822.12.27-1895.9.28)
フランスの化学者、細菌学者。酒石酸による旋光性の研究は、後の立体化学(光学異性体など)の素地を作る。醗酵の研究では、乳酸菌の発見及び醗酵の意義の確立など、その基礎を作る。沸騰後に空気を遮断した容器の中では物が腐らないことを示し、生物の自然発生説を明確に否定。また酢酸醗酵の研究では、葡萄酒の酸敗を低温殺菌法(pasteurisation)で防ぎ得ることを示した。
 
サリチル酸
salicylic acid
C7H6O3
o-ヒドロキシ安息香酸にあたる。無色の針状晶。遊離状または誘導体として種々の植物中に存在する。塩化鉄(V)溶液を加えると紫色を呈する。防腐剤として用いられ、その誘導体(例.アセチルサリチル酸⇒商品名「アスピリン」など)にも医薬に供されるものが少なくない。
 
杜氏
前杜氏 伊藤 茂
『季刊トップ』記事
 
サリチル酸定量試験
定量試験成績表